第二章 TOEIC900点超えの留学から一転、パートから地方公務員への道

国立大学でキャリアと自分の人生について向き合った結果、
20代半ばで大きく飛躍するために留学へ飛び立ちました。

持前のガッツで、留学先ではTOEIC985点という英語力肩書に囚われない柔軟な思考を手に入れました。

これから順調にキャリアアップできる!と
思っていた矢先、リーマンショックという未曽有の不景気が起こります。

「派遣切り」で多くの人々が露頭に迷った時代、
新しいキャリアを始めることは容易でなく、同時に婚約者も失うことに・・・。

成功から一転、28歳で全てを失った女がパートタイム公務員となり、そこから這い上がり、地方公務員となるまでについてお話ししたいと思います。

【1章】優等生だった公務員がレールを外れて留学へ飛び立つ話
【2章】TOEIC900点超えの留学から一転、パートから地方公務員への道←今ココ
【3章】学校事務員になった女がまた英語を生かして夢を追う
【4章】子どもと家族のために40歳が挑戦!TOEICコーチになる!

私は留学地をカナダのバンクーバーに選びました。

カナダ留学は実りあるものでした。
カナダ文化を直に学び、多くのかけがいのない友人と出会うことができました。

そして、留学で得た成果は2つあります。

目次

1.TOEIC900点超えの英語力

一つ目は、TOEIC900点オーバーのスコアアップです。

留学前のスコアは800点台前半、帰国後900点超えが目標でした。

私は考えられるありとあらゆることに挑戦しました。

ビジネスの専門学校に通ったり、
発音矯正のコースに通ったり、
地元のコーラス隊に入ったり、
アメリカ人とルームシェアしたり、
法律無料相談NPOに自ら履歴書を送ってボランティアとして働いたり・・・

充実した毎日を送っていました。

留学して約一年3か月が過ぎ、帰国予定3か月前を控えたある日。
私はTOEICを受験することにしました。

「英語力伸びたから余裕でしょ」

私は全くTOEICの勉強をしていませんでした。
そして、なんと受験したTOEICの結果は895点…

わずか5点に届かなかったのです。

私はTOEICが英語力だけでは到達できない、ということを
身をもって体感しました。

初心に帰り、日本で過去800点を取得した時に身に付けたメソッドを徹底しました。
また、当時通学していた発音矯正コースの授業で集中的に学びました。

そして、1か月後にまたTOEICを予約して挑んだ結果、985点に!

たった1か月で100点近く伸びたのです!

こうして、私は留学を経て、900点を優に超えるスコアを取得でき
夢への第一歩に大きく前進しました。

2.柔軟で広い視野

成果の2つ目は、柔軟で広い視野を持てるようになったことです。

カナダは日本のように日本人が大多数を占める単一民族国家ではありません。
なので、宗教・出身国・文化など、皆が違っていることが当たり前です。

すると、他人の年齢も職業もどうでもよくなります。
そんなことを聞いたところで、人とのコミュニケーションの役に立たないからです。

日本では、「旧帝」、「公務員」という外部の分かりやすい物差しで評価され、
生きてきた私が、留学先では「ただの私」になれました。

鳥かごに閉じ込められたオウムが空へと解放されるような、そんな心地よい感覚を味わうことができました。

50代で専門学校で学び、カナダ移民するために日々努力するロシア人のクラスメート。

30代前半で家族連れ留学の男性。
ITの実務経験と知識を武器に、見事日系企業へ就職。カナダ移民の一歩を踏み出す。

年齢も、性別も、関係なく、いつでも挑戦していいんだな。
こんな風に考えるようになりました。

こうして、TOEIC900点超えという目標を達成した私は、
「まずは社内通訳を目指してがんばるぞ!」と、やる気に満ちていました。

しかし、そんな矢先、リーマンショックが起きました。
千年に一度と言われた大不況です。

私はどんなに努力しても報われない時があることを知りました。

応募できる求人が正規・非正規問わず、全くないのです。
面接試験の途中で、企業の業績が悪化し、求人がクローズすることもありました。

そんな中でも転職エージェントに数社登録し、努力した結果、2社内定をもらうことができ、
外資系企業の正社員の仕事を選びました。

製造業のメーカーの事務職で、時に工場通訳も任せてもらえるというポジションでした。

このまま、経験を積み、専任の通訳としていつか活躍するんだ。

しかし、リーマンショックの余波は就活への影響だけに終わらなかったのです。
この後、予想もしていなかった不況の波へ飲まれていくことになります。

28歳・彼氏なし・無職のどん底に落ちる

リーマンショックは、就活(転職活動)にだけ影響を与えるものではありませんでした

不況の波は、入社した会社の事業をも飲み込んでいきました。

入社後は、地元の営業所に配属されていた私でしたが、1年も経たないうちに、事業方針の変更があり、私の配属されていた営業所は閉鎖、転勤命令が下りました。

地元で働きたかった私は退職を余儀なくされてしまいました。

不測の事態の連続に、私は安定した公務員を捨てて、留学した自分を責め続けるようになりました

努力すれば、必ず目標を達成していた今までの経験から「自分はどこかで道を間違えたんじゃないか」、
繰り返し繰り返し、自分を責めて、メンタルはボロボロでした。

帰国後に結婚を約束していた恋人とは1年半の遠距離を経ても付き合いは続いていました。

しかし、留学で価値観が変わってしまった私と彼の間はすれ違う一方です。

そして結局は、お別れをすることになりました。

私は28歳にして、仕事も、恋人も、何もかも失ってしまったのです

パートタイムからの公務員受験

不況の中、求人もなく、手詰まりで弱り切っていた私でしたが、
家族の支えもあり、自分が持っている一番の実績を思い出しました。

それは、公務員試験のノウハウと、公務員として勤務した実績でした。

チャンス(求人)が今はないのなら、
得意なことで、今は勝負したらいいんだ。

そして、私は国際交流を担当するパート職員となり、公務員試験を再度受験する決意をし、勉強を始めます。

そんなある日のこと、帰国直後に登録した人材会社からメールが届きました。

なんと、TOEIC985点がコーディネーターの記憶にとどまっており、
未経験者に回ってこないような時給5000円の商談通訳の代打が舞い込んだのです。

地元のホテル・飲食店・観光関係者と、海外の旅行エージェントの橋渡しをする役。
ヒルトンホテルの一会場で行われる華やかなものでした。

そのまま、通訳者を目指し、勉強を続け・・・という
サクセスストーリーだったら、キレイな話なのですが、笑

私は、結局、そのままパートの傍ら、公務員試験を勉強し、
合格し、再び、公務員となりました。

一度は憧れた通訳を本格的に目指すことはなかったものの、
私はほんの少しだけ、夢を叶えることができました。

夢が一瞬だけ叶った瞬間、私はこう思いました。

TOEICは、人生の夢を叶えてくれるパートナーになり得るんだなと。

この予感は、間違っていませんでした。

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