英語ができるようになって世界が変わった話

こんにちは!英語コーチのきなこです。

この記事を書いている数日ほど前に
ずっと2年間、犬の仮面を被っていたTwitterで
顔出しを宣言したところ、大きな反響がありました。

https://twitter.com/Kinaco_Inu/status/1513471930854166531?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1513471930854166531%7Ctwgr%5E13d72ddfbcb9ddae9c008fac844a700f6082bfb3%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2Ftoicarry.com%2Fabout-me-1%2F

ところが予想外に多くの方からこんな反応がありました。

「もっとストイックで厳しい顔の人だと思ってました。
意外と親しみやすく、優しいお顔なんですね」

「バリキャリの堅物のイメージでしたが
柔和な方なんですね~」

一体、どんな人間だと思われていたのだろう、笑

私のプロフィール長編もこちらで公開していますが、
もしかしたら、
「めちゃくちゃ自分に厳しい強い人」のイメージに
なっていないだろうか?

この人にTOEIC教わったら、めちゃくちゃスパルタでしごかれそう。

もしや、こんな風に思われてるのでは?とふと不安に思い、
素の私の一面について公開してみることにしました。

興味のある方だけ、しばしお付き合いください。

目次

「いるかいないか分からない」と言われる子供時代

私は小さい頃から、勉強のできる真面目な子供でした。

しかし、学級委員タイプの優等生ではありませんでした。
とても大人しく、ほとんど友達がいなかったからです。

どれ位目立たなかったって、
卒業アルバムでは、
「いるかいないか分からない女子ランキング」にいれられるほど。

一人で本を読み空想するのが大好きでした。
そして、他人の気持ちにとても敏感で繊細、
誰かに嫌われるのを誰よりも怖がり、
周りの反応を過剰に気にする子供でした。

そんな傾向は今でもあるかもしれません。

不特定多数と広く付き合うより、
少人数の人と徹底的に深く付き合い、信頼関係を構築するのが得意です。

現在、マンツーマンの英語コーチとして、
とても楽しく、毎日やりがいを持って
仕事ができているのは、この特性が生きているからかもしれません。

「徹底的に寄り添ってくれるコーチング」と、
卒業生や受講者様はおっしゃってくださっています。

間違って陽キャの花形、テニス部に入部

そんな私に転機が訪れました。
中学校の部活で、何を思ったか、私は花形のソフトテニス部に入部したのです。

運動音痴で友達もほとんどいない私が、です。

同級生で一緒に入部したのは、
小学校同じクラスの卒業アルバムで
「かわいい女子」「面白い女子」ランキング1位に輝いていた二人。

小学校時代、話したことすらない、遠い雲の存在です。

他の同級生の部員もそんな人たちばかり。
皆に憧れられるヤンキーっぽい美人な女子。
ボーイッシュで明るく誰からも好かれる女子。

そんな中に「いるかいないか分からない女子」代表の私がぽつん。

実は、このメンバー、
三年後には市、県を勝ち抜き、全国大会に出場、
団体戦で5位を受賞するほどの強豪に育っていくのですが

(私は完全なベンチウォーマーです、笑)

人気者の彼女らと交友を深めるために、私は社交性を身に付けました。

今では私も普通の人のように、社交的に振る舞えるものの、
心の根っこは、小学校時代の
地味で目立たない、一人で空想が大好きな、
傷つきやすくて内向的な自分を常に飼っています。

なので、3.6万人もフォロワーさんがいますが
日本一Twitterに向いていない性格だと、実は思っています、笑

さて、時々Twitterで恐れられている私の「ストイックさ」の根っこは
この時の部活動にあるような気がします。

早朝6時から晩までしごかれ、金曜夜は夜間練習、
休日は時に高校生と遠征試合、夏は長期合宿と
毎日、テニスの練習に明け暮れた日々で培われたのかもしれません。

本当に何を思って入部したのか、今となっても分かりません。
しかし、結果的には後天的に社交性と集中力を身に付けることができ、
今でもあの奇跡の選択に感謝をしています。

地元の高校→国立大学に進学

中学校で社交的に振る舞う明るさを身に付けたことで、私は友達が増えていきました。
後にも先にも思い出しても、
高校時代と大学時代ほど楽しかった時期はありません。

高校時代は、毎日、弁当のおかずを友達と奪い合ったり、
くだらない絵しりとりで盛り上がったり、
当時流行ってたTMレボリューションの「ホットリミット」を
あのよく分からないポーズで皆で踊ったり・・・

授業後の夕下がりの教室で、皆で勉強のご褒美と
ビエネッタをこっそりコンビニで買って分け合って食べたり・・・・

今でも戻れるものなら、あの日々に戻りたいな。

バカバカしい位に小さなことが、輝く位にまぶしく見える青春の日々でした。

プロフィールのきなこの物語にも書いていますが、
私は決して裕福な家庭では育ちませんでした。

早稲田大学第一文学部で、文学を学び、小説家になりたいな。

そんな夢はあったものの、
自宅から通えて、お金のかからない国公立大学、
それなら、地元で一番偏差値のいいところへ行こう。
そんな安易な思考で、地元の名古屋大学文学部を受験しました。

大学生時代も青春を謳歌。
テニスサークルと落語研究会に所属していました。

Twitter140文字のツイートの切れがスゴイと時々言われることがあるのですが、
落語研究会で高座に立って培った「落ち」の感覚が
今でも役に立っているかもしれません、笑

ところで、この時、全く英語は話せませんでした。
英語に憧れはあるものの、

「〇〇先輩、TOEIC900点取ったんだって!
さすがー、〇〇高校出身だものね。頭が違うよね。

〇ちゃんは映画字幕なしで分かるんだって。
帰国子女らしいよ。うらやましいよね。

私とは住む世界が違うわ~」

こんな言葉しか出てこない位、普通の女子大生でした。

さて、そんな青春時代を謳歌する中、
大学3年生の頃だったでしょうか。

アメリカで同時多発テロが起こりました。
私の父親は観光業界で仕事をしていたため、
業績が急激に悪化しました。
父は早期退職を余儀なくされました。リストラです。

私はこんな風に思いました。

「家族にこれから何かあったとき、
皆を守れるくらいの安定した経済力を持っていたい」

こうして、私は女性が一生安定して働ける仕事だと思い、
公務員を目指すことにし、夜間ダブルスクールし
公務員の専門学校に通うことになりました。

3回公務員試験に合格、そして3回辞める公務員の誕生

メンタルが元々そこまで強くない私は
公務員試験のプレッシャーで拒食症気味に。
ストレスと戦いながらも、毎日10時間と机に向かい、何とか現役合格。

そして、当時はまだ国家公務員だった国立大学職員として入職をしました。
これもきなこの物語で詳しく書いていますが、

私は留学生や外国人研究者、教員と仕事で接する中で
英語力を劇的に高めて、専門性の高い仕事をしたいと思うようになりました。

通訳・翻訳の仕事に憧れ、
最終的には公務員を辞め、26歳でカナダ留学を決意しました。

「お父さんに何かあっても、
もうお金を出してあげられないかもしれない。
だけど、公務員を辞めて留学してもいいか?」

26の頃の私が、夜中に泣きながら
父と母に伝えた瞬間を今でも覚えています。

レールの上の優等生だった私が、初めて
自分の感覚に従い、自分の意志で、未来を選び取った瞬間でした。

同僚・先輩・友人に恵まれ、サプライズで数々の壮行会。

拒食症になってまで掴んだ公務員をあっさり4年で辞めた。
この時から、地味で真面目が取り柄の優等生だった私は変わったのかもしれません。

その後の人生でも私は非常識な選択の数々をしてきました。

留学後、リーマンショックで無職。
絶望した時期に、アラサー最後の年齢制限の望みをかけ、
地方公務員になるもやっぱり英語の仕事が諦めきれず、
4年で公務員捨てて、任期付きの大学教員ポストに就く。

任期満了間際、38歳育児と仕事の両立で死にかけながらも
公務員試験勉強に励み、年齢制限ギリギリで合格、準公務員に。

けれど、通勤時間との闘いでやはり両立が厳しくなり、
たった一年でせっかく勝ち取った合格なのに、これまた辞める。

そして無職からTwitter始めて
一年未満で1万人フォロワー
現在3.6万人フォロワー、英語コーチとして起業。

地味で真面目で、慎重派の優等生だった私。
留学後、英語が話せるようになり、世界観が変わったのかもしれません。

まず、自分に自信が持てるようになりました。

「勉強と真面目くらいしか取り柄がなくて
面白くもない自分」

どこか、そんな風に思っていたところがあるのですが、
英語が話せるようになり、ポジティブな人格を
心に飼えるようになったように思います。

そして、常識を外れることができない怖がりだった私が
年齢に捉われない挑戦ができるようになりました。

詳しくはカナダ留学編に続きます・・・

カナダで培った英語力と広い視野

後にも先にも高校と大学位、楽しいときはなかったと
書きましたが、訂正します!

カナダの日々も負けない位最高でした!

26歳にして第二の青春を謳歌しました。
ただ、公務員時代の貯金切り崩し生活だったので、本当にお金はなかったです!

https://twitter.com/Kinaco_Inu/status/1378467854589263874?ref_src=twsrc%5Etfw


ただ、英語の勉強は本当によくしました。
座学よりも、実学を重視しました。

Language Exchange、アメリカ人のルームメイト、地域のコーラス部に入部
MeetUPで地元のサークルに一人で飛び入り参加、
NPOに履歴書送り、そこの電話受付のポジションをGETし、働く・・・

水族館で案内のボランティアやってる時期もありました。
ありとあらゆることに挑戦し、
翻訳・通訳コースで語彙を高め、発音矯正コースで音も鍛え、
とにかく英語漬け。

英語力だけは最高に磨き上げるんだ!こうやって思ってました。

TOEIC?今さら楽勝でしょ?と思い、留学一年半が過ぎた頃、
帰国間際ギリギリになって受験をしました。

しかし、なんと・・・895点!!!!
目標の900点に5点及ばず。

TOEICを舐め切っていた私は心を入れ替えました。
発音矯正にも身を入れ、
帰国に間に合うよう、TOEIC対策を猛追し、
1か月後に985点を取得!

TOEICだけでなく、
臨月間際にIELTSを受験し、当時必要だった所定のOverall7.0取得
38歳年齢上限ほぼギリギリで公務員試験合格
41歳キャリアコンサルタント一発合格など

育児・仕事と両立しながら合格を勝ち取ってきているので、
時短で合格術には自信があります。
私のプログラムでは私が実践して効果のあった時短合格術をお伝えしています。

↓私のFarewell Party。
友人宅で室内で花火をやってみる、の図。

カナダで出会った友人は、
30代で奥さんと子供連れで移民を志し、努力している人だったり、
50代でロシアを離れ、
第二の人生に賭けるために専門学校へ通っている人だったり、

年齢に捉われない挑戦に満ちていました。
この出会いは、私の価値観を大きく変えてくれるものとなりました。

人生のどん底に落ちてもヨレヨレと這い上がり、英語を仕事に

帰国後、私を待っていたのは想像もつかない世界でした。
リーマンショックに巻き込まれ、無職・・・

そこから這い上がり、先ほど話していたような
起き上がりこぼしのような七転び八起きの人生を歩みます。

英語を仕事にしたいという想いがいつも私を付き動かし、
そのために最大限の努力を尽くしました。

さて、どんな風に英語を生かして仕事をしていたのか?ということを
よく聞かれるので、そのことをお話しようと思います。

まずは、外資系の企業で採用されたことが一度。
ただ、下記のツイートにもある通り、華々しい活躍はほぼしていません。。
そして、入社後半年で会社は規模縮小して、退職を余儀なくされました。

https://twitter.com/Kinaco_Inu/status/1435354690187759616?ref_src=twsrc%5Etfw

商談通訳のお仕事。
単発で2回呼ばれたことがあります。

ヒルトンホテルの一間で
シンガポールの観光エージェントさんのブースに入り、
日本の旅館や観光地の職員さんと仲立ちに立ちました。

海抜4000mの表現に固まり、4000m above the sea level?
適当に口から出てきた表現が合ってて、少しほっとした記憶が残っています。

小学校事務員時代には、
アフガニスタンから大学院留学中の保護者と児童が英語しか話せなかったので
小学校教員との間に入り、通訳をしていました。
組体操の説明や、給食当番、水着の説明に苦労した記憶があります。

イスラム教徒の方だったので
「豚肉の入った給食缶を持ってはならない」
「白衣は豚肉を煮た煙をまとっているので、家に持って帰って洗えない」
「男女が触れてはならない。(組体操のピラミッドNG)」
「女子は人前で肌を晒してはならない(水着はNG。ラッシュガードはOK)」

思い出すだけで、こんなことがありましたね。

国立大学で研究員をしていた頃は、
ASEANの国際労務担当で、就業規則作成や法人登録などを担当していました。

小学校事務という純ドメ環境からの、転職だったので、
初めは本当にきつかったです・・・

弁護士と労務関係の論点で議論したり、
カンボジア出張して、国際機関に出向き、情報収集したり、
就業規則では労働法関連を英語文献で調査したり、
Zoom会議でベトナム・カンボジアスタッフと、労務問題の論点整理をしたり

英語力だけでなく、専門知識や法律解釈力の求められる仕事でしたが
非常にスリリングで面白かったですね。


当時、職場のハロウィンカラオケパーティーで
ジャックスパローに本気仮装する人の図。

英語の仕事以外に、英語ができてよかったこと

英語のお陰で、ただの公務員だった頃、
考えられないような世界をたくさん見ることができました。

仕事以外にも、いいことはたくさんありました。

英語圏なら、旅行会社介さず、ホテルや飛行機手配するのが
全く怖くなくなりましたし、
世界中に友人ができたお陰で、日本以外から見た
視点を持つことができるようになったのはとてもよかったなと思います。

今は英語コーチとして、
英語力で制限があるキャリアから
英語力を武器にするキャリアを歩みたい女性をサポートする仕事をしています。

私と同じように、
自分に自信のなかった女性が
英語を武器にして、
新しい世界へ飛び立つお手伝いができていること

生徒様と一緒に、新しい冒険を追体験できること
とてもやりがいのある日々です。

もっと多くの方のご支援ができるよう、これからも
頑張っていきたいと思うので、どうぞよろしくお願いします。

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